デス・オーバチュア
第60話「星界の邂逅」




わたしは、いったいどれだけの時間、この星の海を漂っているのだろう?
昼夜の変化もなく、この場所には時間を知るための術は何もなかった。
時間だけではなく、ここには何もない、果てすらもない、無限の星の海。
やがて、わたしは考えるのをやめた。

そして時だけが休むことなく流れ続け。
わたしは全てを忘れていった。
なぜ此処にいるのか? 何処から来たのか? 自分が何者なのか?
全ては時の彼方に……記憶の深淵に沈んで消えた。



「……痛ぅ……なんだ?」
タナトスは後頭部を右手でさすりながら、背後を振り返った。
自分にぶつかってきたモノの正体を確認する。
「……十字架?」
それは巨大な白銀の十字架だった。
十字架には修道服を着た幼い少女が張り付けにされている。
十字架と張り付けるための手枷、足枷、首輪、それに黒革の目隠しと口封じと、見事なまでに『拘束』され尽くしていた。
「……惨い……生きているのか?」
タナトスは少女の左胸に耳を当てる。
「心臓の音はしない……だが……」
タナトスは今度は少女の左頬にそっと手を添えた。
「……微かに温かい……それに……死臭はしない……」
少なくとも死んではいない。
そう確信したタナトスは、手枷の部分に右手で触れた。
「この枷を壊せれば……ん? 触れる?」
自分は今、幽霊のような存在ではなかったのだろうか?
タナトスが疑問を抱いた瞬間、カチッという音と共に少女の右手を拘束していた手枷があっさりと外れた。
「なっ!?……触れただけで?」
タナトスは試しに今度は少女の右手を拘束している手枷に右手で触れる。
やはり、カチッという心地よい音と共に手枷はあっさりと外れた。
「む……っ」
タナトスは残る足枷と首輪にも触れてみる。
少女はあっさりと十字架から解放されると、タナトスに倒れ込んできた。
「……大丈夫か? 生きているのか?」
タナトスの呼びかけに、少女は何の反応も示さない。
タナトスは抱き抱えている少女の口封じを外すと、最後に目隠しを外そうと手を伸ばした。
「……ぁ……」
その瞬間、少女の口から微かな声が漏れたのをタナトスは聞き逃さない。
「……良かった、生きている」
タナトスはホッと息を吐くと、少女の目隠しを外した。
閉ざされていた少女の目蓋がゆっくりと開かれる。
「…………」
「大丈夫か?」
石榴石(ガーネット)のように赤い瞳がタナトスをボーっと見つめていた。
「お前、名前は?」
「…………」
「……ここがどこか知っているのなら教えて欲しい」
「…………」
「………………」
「………………」
無言で見つめ合う二人。
少女は何も答えないし、タナトスもまた口数が少ないというか、話術が苦手なため、コミュニケーションは成立せず、沈黙だけが続いた。
「ああっ! 居た居た〜っ! やっと見つけた!」
静寂を打ち破って、近づいてくる声。
「もう、勝手に迷子にならないでよ、タナトス」
「リセットか……助かった……」
リセットに出会えて、こんなにも嬉しいと感じる自分が不思議だった。
得体の知れないこの世界に一人放り出され、気弱になっていたからか? それともこの幼い少女への対処に困っていたので救い主に思えたのか?
とにかく、リセットと再会できて、タナトスは純粋に嬉しく、そして安堵していた。
「ああっ!? 何、タナトス、その子はっ!? 私がちょっと目を離した間に子供まで作るなんて……不潔! タナトスの浮気者!」
「……馬鹿者が……」
タナトスはため息を吐く。
こんな奴を頼りにするとは、やはり自分は相当気弱になっているようだ。
「まあいい……リセット、お前には説明して欲しいことが山ほどある……」
「ん〜? ここは何処で? なぜ、タナトスは此処に?……てところかな?」
リセットはタナトスの周りをふわふわと浮遊しながら応じる。
「そうだ。お前の仕業なのか?」
「そうよ、危なくメギドの炎で髪の毛一本残さずに灼き尽くされようとしていたタナトスを救うために、座標の指定もしないでランダムで転移したの」
「なんかやけに説明的というか……恩着せがましく感じるのは気のせいか……?」
「んで、ここが何処かというと……無窮の夜の果て、深淵なる星の向こう側……星辰の彼方の世界……星界よ」
リセットは頭上を指さしながら言った。
「夜空……無数の星の世界……」
星界。
地上こと幻想界(人間界)と深い関わりを持つ六つの世界の一つ。
その名の通り、星々の世界。
星界についてタナトスが知っているのはそれくらいだった。
「ここには……大地が……国が……人が居ないのか?」
「ううん、大地だってあるし、国だってあるし、人だっていくらでもいるわよ。ただし、『空』だけはないけどね」
「……空がない?」
タナトスは頭上を見上げる。
見事な星空が、頭上だけでなく、タナトスの全方位に拡がっていた。
「青空がないというか、朝も昼も夜もないの。どこまで行っても星空……空気のある宇宙って言ったところかな?」
「宇宙?」
タナトスには聞いたことのない言葉……単語である。
「まあ、馬鹿みたいに広いから、たまたま地表……人が住んでいる場所から縁遠い場所に出ただけ……て、ほら、人が居た」
タナトスはリセットが指差した方向に視線を送った。
城のように巨大な船らしきモノが近づいてくる。
「……なんだ、あれは……?」
「見ての通り船、戦艦よ。あれは、一番小さいやつじゃないかな〜?」
「あれで一番小さい!?」
「あっ! 面白いものが見られるわよ」
突然、戦艦の前に膨大な光が生み出されたかと思うと、光が戦艦を夜空ごと真っ二つに切り裂いた。
「なっ……」
タナトスが言葉を失っていると、光の刃は夜空を突き進んでいき、新たに向かってきていた戦艦の一団の中に突き進んでいく。
そして、一瞬にして全ての戦艦をあっさりと切り捨てられてしまった。
「……何が……いったい……?」
「これが星界の戦闘よ。星の海を行く巨大戦艦と、戦艦を生身で落とせる化け物……なかなか爽快な光景でしょう?」
「生身って……」
「光の先端に人が居るのが見えない? まあ、普通見えないか、この距離じゃ……あの光の刃みたいに見えるのは、ただの闘気の輝き……要は剣の一振りで戦艦を真っ二つにしてるわけね」
何でもないことのようにリセットは言う。
「まあ……まあまあの強さかな?」
「まあまあって……」
「ん? そんなに驚くとないじゃない。タナトスの方があんなのより遙かに強いんだし……何たって魔王と互角以上にやりやっちゃうんだし……」
「魔王?……何の話だ?」
「あ、やっぱり覚えてないんだ。無意識の時の方が遙かに強いってのもどうかと思うわよ……まあいいや、こんな世界に用はないし、変な巻き添えでも喰わないうちにさっさと次に行きましょう、タナトス」
はい、決定といった感じで、リセットはタナトスの左腕に抱きついた。
「…………」
タナトスの右手にすがりついて修道服の少女が石榴石の瞳でじいっとリセットを見つめている。
「……む、何よ、あんた? 私に何か文句あるわけ?」
「…………」
少女は無言で、リセットに対抗するように、タナトスの右腕に強く抱きついた。
「むむっ……」
「…………」
リセットと少女は同時に、タナトスを逆の方向に引っ張る。
「痛っ……よせ……何、子供と張り合っている、リセット……」
「だってだって、この子、なんか生意気なんだもん! 私に挑戦するなんて、私のタナトスを奪おうとするなんて……」
「……リセット、お前……初めて会った時と性格変わりすぎてないか……?」
「そう? 私は最初からこんな性格よ……すきありっ!」
リセットは少女の不意をつくようにして、タナトスを強く引き寄せようとした。
しかし、それより速く少女が何かをリセットに投げつける。
「痛い! 何するのよ、このチビガキ!」
リセットの額に命中したのは白銀のロザリオだった。
「…………」
少女はリセットの反応は無視して、ふわふわとゆっくりと宙を流れるように浮遊して戻ってきたロザリオを拾うとポケットしまい込む。
「無視するんじゃないわよ! もう頭来たっ! 散々陵辱してから、売り飛ばし……」
「子供相手に何を言っている、馬鹿者!」
タナトスはリセットの脳天に手刀を叩き込んだ。
「う〜、痛い、酷い、タナトス……」
リセットは涙目で抗議する。
「いいから、次の世界に行くなら行くでさっさとしたらどうだ」
「……それはいいんだけどさ……その子も連れて行く気なの?」
「あっ……」
言われて、タナトスは自分の右腕に抱きついている少女を改めて見つめた。
連れて行っていいものなのだろうか?
この世界に居たのだから、この少女はかなりの確率でこの世界の人間だと思う。
この世界に親も居るだろうし、勝手に別の世界に連れて行くなど……。
「ああ、タナトス言っておくけど、その子、星界の人間じゃないわよ。だって、その子魔族だし……」
「魔族? この子が?」
どこからどう見ても、幼くて、小さくて、可愛いい人間の女の子にしかタナトスには見えなかった。
「星界に追放なり、封印なりされたんじゃないの? なんか本人はボケてて自覚ないというか、何も解ってないみたいだけど……」
「…………」
少女は無言で周囲をボーッと眺めながら、タナトスの右腕に抱きついてるだけだった。
「……連れて行って……いいものなのだろうか?」
「私はそんなチビガキを連れて行くのは嫌だけど、タナトスがそれを気に入ってお持ち帰りしたいって言うなら止めないわよ」
「……一緒に来るか?」
タナトスは少女の石榴石の瞳を正面から見つめながら尋ねる。
「…………」
僅かに紫がかった白髪に石榴石の瞳をした修道服の幼い少女はコクンと頷いた。



「ちっ……こいつも駄目か」
男は刃の折れた曲剣を戦艦の残骸に叩きつけた。
「おやおや、やはり私ごときが作った物では所詮紛い物にしかなりませんか……本物の星斬剣に遙か遠く及ばない……例え同じ材料で作られていようとも……」
男の背後で黒い翼の天使が呟く。
「星界の星核(スターコア)なら神柱石にも匹敵する武器が作れるんじゃなかったのか、コクマ?」
男は振り返ると、黒天使……コクマ・ラツィエルを睨みつけた。
「私は所詮魔導師ですからね。知識はあっても、真に魂のある武具を生み出すことはできないようですね」
「ふざけるなっ! 何のために俺が……」
「まあ、落ち着いてくださいよ、まだ時間はあります。何かもっといい武器をなんとか用意しますから……」
「ふん、作れないなら、すでに存在している剣で使えそうな物はないのか?」
「そうですね……」
コクマは顎に手を当てると考え込む。
「十神剣に匹敵、あるいは凌駕する可能性がある武器というと……まずは星界の星斬剣、星貫槍などといったスターコアから作られた武具」
「それは今駄目だっただろうが?」
男は戦艦の残骸と共に漂っている二対の曲剣を指差した。
「本物じゃありませんでしたからね、同じ材料と同じ技法で私が再現したただのコピー品です。やはり、材料や技術ではなくもっと抽象的な魂や想いとでもいったものに星斬剣の強さの秘密はあったのでしょうね」
「魂に想いね……」
男は小馬鹿にしたように笑う。
「そう笑ったものでもないですよ。憎悪や怒りなどといった負の感情を力に変える剣は古今東西良くありますし、十神剣がただの神柱石から作られた武具と一線をなす、別格な武器なのは魂……意志や人格を持つからです。魂や強い想いを持った時、武器は『物』を超えた存在となるのです」
「くだらない講釈はいい……要は手に入りそうな十神剣クラスの武具があるのかないのか!? 俺が知りたいのはそれだけだ!」
「そうですね……魔界最強の魔剣『魔極黒絶剣』と最古にして最強の牙『異界竜皇剣』なら間違いなく十神剣にも匹敵しますが……どちらも魔王ゼノンの所有物ですからね……まあ、魔王と契約して一時的に魔剣を借り受ける呪文もなくはありませんが……あれは魔王に気に入られないと契約すらできませんからね」
「俺は俺だけの牙が欲しいんだよ! 借り物などいるかっ!」
「他にもいくつか無くはありませんが、フリー……主人無しの物は殆どありませんね。私のコレクションの中からでも何かないか探してみますか?」
「ちっ……とりあえず一度地上に戻るぞ」
男は星の海を足下に地面があるかのように自然に歩き出した。
「ふむ……」
「……どうした?」
男はコクマが後をついてくる気配がないので足を止め、振り返る。
「いえ、知っている人物の気配を一瞬感じたような気がしたのですが……きっと気のせいですね」
「ふん、さっさと戻るぞ」
「ええ、参りましょうか。地上ではもう最後の日になっているでしょうしね」
「くだらない歓迎の玩具の準備ばかり優先して、よくも俺を後回しにしてくれたものだな」
「そう責めないでくださいよ、ちゃんとあなたの準備も間に合わせますので……」
「そうしてくれなければ困る」
男とコクマは星の海を数歩歩くと、夜空に溶け込むように姿を消し去った。



















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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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